お城祭り2
2013年 04月 01日
大和郡山市のお城祭りが開催されています。
お祭りに定番の露店通路は花見客で大混雑です。
西公園の舞台前では音頭に合わせて沢山の人が踊っていたよ。
郡山城(こおりやまじょう)は、奈良県大和郡山市にあった城で、豊臣政権の中初期には秀吉の実弟羽柴秀長の居城となり、その領国であった大和・紀伊・和泉100万石の中心でありました。
江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれ、後半は柳沢家が城主となっていた。
1873年(明治6年)郡山城は破却されて、建築物はほとんど無くなったが、現在は櫓・門・塀などの一部が復元されています。
石垣や堀の多くは今も往時の姿を留めています。
郡山城跡には柳沢神社があり、その社殿の前で金魚の品評会が行われています。
大和郡山市における金魚養殖の由来は、享保9年(1724年)に柳澤吉里候が甲斐の国(山梨県)から大和郡山へ入部のときに始まると伝えられています。
幕末の頃になると、藩士の副業として、明治維新後は、職禄を失った藩士や農家の副業として盛んに行われるようになりました。もっともこれには最後の大和郡山藩主柳澤保申候のおしみない援助があったことが大きいと言われています。
(大和郡山市ホームページより)
お城祭りでの恒例、大数珠
昭和36年に築城以来この城にまつわる諸霊並びに石垣に埋められた
佛石を弔うことにより、大和郡山市の発展と皆さんの幸福を祈願するた
め、市民有志から錠剤を以て調製されたものですが、長年の歳月により
数珠の損傷がはげしく、平成16年の姿勢50周年を記念して新調された
ものです。
数珠の数 1080個
全長 162m
総重量 646kg
城跡の桜は今が満開でした。
お祭りに定番の露店通路は花見客で大混雑です。
西公園の舞台前では音頭に合わせて沢山の人が踊っていたよ。
郡山城(こおりやまじょう)は、奈良県大和郡山市にあった城で、豊臣政権の中初期には秀吉の実弟羽柴秀長の居城となり、その領国であった大和・紀伊・和泉100万石の中心でありました。
江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれ、後半は柳沢家が城主となっていた。
1873年(明治6年)郡山城は破却されて、建築物はほとんど無くなったが、現在は櫓・門・塀などの一部が復元されています。
石垣や堀の多くは今も往時の姿を留めています。
郡山城跡には柳沢神社があり、その社殿の前で金魚の品評会が行われています。
大和郡山市における金魚養殖の由来は、享保9年(1724年)に柳澤吉里候が甲斐の国(山梨県)から大和郡山へ入部のときに始まると伝えられています。
幕末の頃になると、藩士の副業として、明治維新後は、職禄を失った藩士や農家の副業として盛んに行われるようになりました。もっともこれには最後の大和郡山藩主柳澤保申候のおしみない援助があったことが大きいと言われています。
(大和郡山市ホームページより)
お城祭りでの恒例、大数珠
昭和36年に築城以来この城にまつわる諸霊並びに石垣に埋められた
佛石を弔うことにより、大和郡山市の発展と皆さんの幸福を祈願するた
め、市民有志から錠剤を以て調製されたものですが、長年の歳月により
数珠の損傷がはげしく、平成16年の姿勢50周年を記念して新調された
ものです。
数珠の数 1080個
全長 162m
総重量 646kg
城跡の桜は今が満開でした。
by narakin
| 2013-04-01 09:55
| 花
|
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