郡山城外堀巡り
2014年 02月 05日
大和郡山市観光ボランティアガイドクラブ主催の 郡山再発見ウォーク で 今日は 「郡山城外堀巡り」に参加した。
郡山城外堀は 説明書きによると
天正8年(15809筒井順慶の縄張りに始まる郡山城築城は、天正13年81585)に入部した豊臣秀長の時代に本格的に進められた。
文禄4年(15959豊臣秀吉の五奉行の1人である増田長盛が入部し文禄5年から外堀の普請を開始して約5年で完成している。
外堀は東側では秋篠川の流域を切り取り利用。南・西側は丘陵の断崖や溜め池を巧に利用し、北側は谷地に添う掘りを巡らした。
総延長は約5.5kmに及ぶ。
外堀の大部分は素掘りで、内掘や中堀のように石垣を積むことはなかった。
掘削した土を掘りの内側に盛り上げて土塁(土居)を作った。
安政年間の絵図が右側で、現在の案内板が左。
案内板の水色の部分が安政年間の掘を示しているが、残っている部分は北東部分の極わずかです。
安政年間の絵図の右下部のまるで囲んだ部分が 外堀緑地公園 として整備されています。
ボランティアガイドさんが資料を示しながら、詳しく説明して下さいます。
ほぼ昔のままに残されている掘が左、整備されて残されている掘が右。
各ポイントには石碑が建てられています。
特定保水池整備事業された堀跡
金魚養殖池になっているところも。
いつも通っている場所もありましたが、ほとんど初めての所もあり、自分が住んでいる土地の歴史を知るのに大変勉強になりました。
朝9時から12時までの3時間で廻りました。
それにしても、今日は寒かった。
郡山城外堀は 説明書きによると
天正8年(15809筒井順慶の縄張りに始まる郡山城築城は、天正13年81585)に入部した豊臣秀長の時代に本格的に進められた。
文禄4年(15959豊臣秀吉の五奉行の1人である増田長盛が入部し文禄5年から外堀の普請を開始して約5年で完成している。
外堀は東側では秋篠川の流域を切り取り利用。南・西側は丘陵の断崖や溜め池を巧に利用し、北側は谷地に添う掘りを巡らした。
総延長は約5.5kmに及ぶ。
外堀の大部分は素掘りで、内掘や中堀のように石垣を積むことはなかった。
掘削した土を掘りの内側に盛り上げて土塁(土居)を作った。
安政年間の絵図が右側で、現在の案内板が左。
案内板の水色の部分が安政年間の掘を示しているが、残っている部分は北東部分の極わずかです。
安政年間の絵図の右下部のまるで囲んだ部分が 外堀緑地公園 として整備されています。
ボランティアガイドさんが資料を示しながら、詳しく説明して下さいます。
ほぼ昔のままに残されている掘が左、整備されて残されている掘が右。
各ポイントには石碑が建てられています。
特定保水池整備事業された堀跡
金魚養殖池になっているところも。
いつも通っている場所もありましたが、ほとんど初めての所もあり、自分が住んでいる土地の歴史を知るのに大変勉強になりました。
朝9時から12時までの3時間で廻りました。
それにしても、今日は寒かった。
by narakin
| 2014-02-05 18:08
| 歴史
|
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