歴史勉強会
2017年 03月 28日
地域の公民館で行われている歴史勉強会
毎月1回、公民館の研修室で講師を迎えて2時間の講義をしてもらっている。
今年度(2016年度)は天理参考館の学芸員をしていた方で、民俗学の先生で、「怪奇と文化財」をテーマに、奈良県内の社寺にまつわる資料を用いて講義していただいた。
毎月1回、公民館の研修室で講師を迎えて2時間の講義をしてもらっている。
今年度(2016年度)は天理参考館の学芸員をしていた方で、民俗学の先生で、「怪奇と文化財」をテーマに、奈良県内の社寺にまつわる資料を用いて講義していただいた。
いつもは研修室での座学だが、年に1回は館外研修の形で史跡等を巡り勉強している。
今日は、その館外研修で、大和郡山の北西部に位置する矢田地区にある「東明寺」「矢田寺」「矢田坐久志玉比古神社」を巡ってきた。
今日は、その館外研修で、大和郡山の北西部に位置する矢田地区にある「東明寺」「矢田寺」「矢田坐久志玉比古神社」を巡ってきた。
「東明寺」(とうみょうじ)は高野山真言宗、山号は鍋蔵山(かぞうざん)、本尊は薬師如来坐像、開基は舎人親王・創建持統天皇8年(693年)と言われている。
東明寺の山門
山門には菊のご紋が
寺伝によると、母・持統天皇の眼病平癒を祈る舎人親王の夢枕に老翁姿の白鬚明神が現れ、「霊山に登り霊水の水をすくいて母君の芽を洗うよう」にとお告げがあり、金鍋を授けられた。お告げに従い母の芽を洗ったところ、持統天皇の間は治癒。
これへの感謝として舎人親王の勅により、この地に寺を建立。
その際、先の菌鍋を基礎に埋蔵したので、山号を「鍋蔵山」(かぞうざん)といい、芽を洗ったときに「東の方が明るく見えた」ことから次号を「東明寺」とした。
山号は矢田山。正式の次号は金剛山寺(こんごうせんじ)という高野山真言宗の寺院。
天武天皇の勅願により智通僧正が開山し、十一面観音と吉祥天を安置した。
現在の本尊は地蔵菩薩。平安時代前期に地蔵菩薩が安置され、地蔵信仰の寺として栄える。
地蔵像は右手に錫杖、左手に如意宝珠を持つのが多いが、矢田寺のほとんどは右手の親指と人差し指を結んだ、「矢田型地蔵」と呼ばれ独特のスタイルである。
ご本尊は拝めなかったが、矢田寺で有名な「味噌なめ地蔵」
昔はどこの家でも自分の所でお味噌を作っていて、おいしく出来るときもあり、うまく出来ない時もあったのですね。
うまく出来なかった味噌を「味噌なめ地蔵」の口元に塗ると、あら不思議、うまくなかったお味噌が美味しくなったとの伝説があるのです。
祭神である櫛玉饒速日命が天磐船に乗って空を飛んだという、先代旧事本紀に記されている故事により航空祖神として崇められ、毎年9月20日に航空祭が行われる。プロペラが奉納され楼門屋根裏から吊されている。
饒速日命が天磐船に乗って降臨した際、三本の矢を射て落ちた所を住まいと定めたが、二の矢が落ちたのが当社と伝えられ、境内にに二之矢塚がある。
by narakin
| 2017-03-28 21:16
| 歴史
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