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by narakin
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カテゴリ:歴史( 39 )

万葉集をよむ

毎月第3水曜日に明日香村の万葉文化館で開催されている「万葉集を読む」
4月に新元号「令和」の出典が万葉集からだとのことで、4月、5月の参加者は3月までの倍近くだった。
物珍しさでたくさん参加したのだろうから、6月になったらもう熱が冷めて、常連者だけの元に参加人数に戻っているのではないかと思っていたが、行ってみたら、今月も多くの参加者でした。
3月までは150人程度の参加者だったが、4月以降は300人近く、今日も300人強の参加者でした。

今日の内容は 松浦佐用姫の歌(巻5・871~875)
詠み人は不明。
色んな研究者が色々と作者を推測しているが定説はないらしい。
そんな中で、山上憶良か大伴旅人が有力らしい。
読まれた歌の中の使われている用語から推測するに、山上憶良ではないかと講師の話。

歌を関連文献(日本書紀等)を引用しながら解説してくれます。

万葉文化館のエントランスに「令和」の書が
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説明版によると鈴木葩光(はこう)という書家の作品とのこと。
万葉文化館ではしばらくの間「令和」の話題が続きそうです。


by narakin | 2019-06-19 21:49 | 歴史 | Comments(2)

万葉集を読む

毎月第3水曜日に明日香村の万葉文化館で開催されている「万葉集を読む」
令和の出典が万葉集からだとのことで、先月の参加者はこれまでの倍近くだった。
令和が発表されて初めての「万葉集を読む」の講座だったので、物珍しさでたくさん参加したのだろうから、今月はもう熱が冷めて、常連者だけの元に参加人数に戻っているのではないかと思っていたが、行ってみたら、先月とほぼ同じ程度の多くの参加者でした。
開催者も同じように思っていたのか、用意していた資料の数が足りなかったみたいで、多数の追加コピーをしていたよ。

今日の内容は 山上憶良の松浦の歌(巻5・868~870)
憶良が筑前の国司の時に作った歌。
参加者のみなさんは講師の話を真剣に聞いていました。

講義が終わり、外へ出るといつもの せんとくん 
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初夏の木々の緑がひときわ輝いていました。

by narakin | 2019-05-15 22:07 | 歴史 | Comments(2)

嫁取り橋

奈良盆地に「大和の古道」と言われる古道がある。
 〇東北に平行する三本の縦貫道、上ツ道(かみつみち)、中ツ道(なかつみち)、下ツ道(しもつみち)
 〇東西に平行する日本の横断道、横大路(よこおおじ)、北の大路
 〇北北西から南南東に斜めに透道、筋違道(すじゅちがいみち)

下ツ道は平城京の朱雀門と藤原京を結ぶ幹線道路だった。
現在でも、形跡が残っているヶ所も多く残っている。

大和郡山の篤志家達で作っている「特定非営利活動法人古道・下ツ道・保存・研究会」というので、活発に活動しているみたいです。

下ツ道は昔は道幅70mほどの大きな道だったらしいが、現在は道幅4mほどの小さな道になっている。
ナラキン菜園から東へ約700mの所にその下ツ道が通っている。
ちょうどその辺りに「嫁取り橋」と書かれた石碑がある。
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真ん中に見えている道は東西の道で、「嫁取り橋」は画面左側にある。
嫁取り橋の由来にちなんだ「八条ヶ渕」が近くにある。
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ここに書かれている説明によると
 昔、山辺郡勾田村に住む小雅之祐という若い山伏が松尾山に修業に行くとき、龍田明神神職の伯父の家に宿ることがあった。ところがその家の娘、駒野が恋心を抱き、それをさけて逃げる小雅之祐を追い、ついに八条ヶ渕に身を投げて大蛇と化した。大蛇の妄念は激しくなり、ある時、珊瑚珠川を渡る花嫁をさらって八条ヶ渕に沈めてしまった。それ以降、村人たちはこの橋を「嫁取り橋」と呼んで恐れ、花嫁はここを通らなくなった。村を荒らす大蛇は、その後村人達によって退治された。このような伝説をもつ駒野の墓と伝えるところが、近くの下ツ道沿いに現存する。

その墓地がこれであり、この中に駒野の墓と伝えられる墓がある。
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by narakin | 2018-11-15 22:58 | 歴史 | Comments(2)

歴史勉強会

地域の公民館で行われている歴史勉強会
毎月1回、公民館の研修室で講師を迎えて2時間の講義をしてもらっている。
今年度(2016年度)は天理参考館の学芸員をしていた方で、民俗学の先生で、「怪奇と文化財」をテーマに、奈良県内の社寺にまつわる資料を用いて講義していただいた。

いつもは研修室での座学だが、年に1回は館外研修の形で史跡等を巡り勉強している。
今日は、その館外研修で、大和郡山の北西部に位置する矢田地区にある「東明寺」「矢田寺」「矢田坐久志玉比古神社を巡ってきた

「東明寺」(とうみょうじ)は高野山真言宗、山号は鍋蔵山(かぞうざん)、本尊は薬師如来坐像、開基は舎人親王・創建持統天皇8年(693年)と言われている。
  東明寺の山門
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山門には菊のご紋が
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寺伝によると、母・持統天皇の眼病平癒を祈る舎人親王の夢枕に老翁姿の白鬚明神が現れ、「霊山に登り霊水の水をすくいて母君の芽を洗うよう」にとお告げがあり、金鍋を授けられた。お告げに従い母の芽を洗ったところ、持統天皇の間は治癒。
これへの感謝として舎人親王の勅により、この地に寺を建立。
その際、先の菌鍋を基礎に埋蔵したので、山号を「鍋蔵山」(かぞうざん)といい、芽を洗ったときに「東の方が明るく見えた」ことから次号を「東明寺」とした。

本堂の近くで、講師の説明を熱心に聞いています。
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矢田寺
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 山号は矢田山。正式の次号は金剛山寺(こんごうせんじ)という高野山真言宗の寺院。
天武天皇の勅願により智通僧正が開山し、十一面観音と吉祥天を安置した。
現在の本尊は地蔵菩薩。平安時代前期に地蔵菩薩が安置され、地蔵信仰の寺として栄える。
地蔵像は右手に錫杖、左手に如意宝珠を持つのが多いが、矢田寺のほとんどは右手の親指と人差し指を結んだ、「矢田型地蔵」と呼ばれ独特のスタイルである。

ご本尊は拝めなかったが、矢田寺で有名な「味噌なめ地蔵」
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昔はどこの家でも自分の所でお味噌を作っていて、おいしく出来るときもあり、うまく出来ない時もあったのですね。
うまく出来なかった味噌を「味噌なめ地蔵」の口元に塗ると、あら不思議、うまくなかったお味噌が美味しくなったとの伝説があるのです。

矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)
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延喜式の式内大社。祭神は櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)俗に矢落(やおち)明神ともいう。
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祭神である櫛玉饒速日命が天磐船に乗って空を飛んだという、先代旧事本紀に記されている故事により航空祖神として崇められ、毎年9月20日に航空祭が行われる。プロペラが奉納され楼門屋根裏から吊されている。

饒速日命が天磐船に乗って降臨した際、三本の矢を射て落ちた所を住まいと定めたが、二の矢が落ちたのが当社と伝えられ、境内にに二之矢塚がある。
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この伝承により飛行の神ともされる。
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by narakin | 2017-03-28 21:16 | 歴史 | Comments(2)

万葉集を読む

毎月第3水曜日14:00~15:30に奈良県立万葉文化館で開講している「万葉集をよむ」を聴講してきた。
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友人の誘いがあり、3年前から聴講しています。
今日は、「中臣郎女と大伴家持の歌」巻四 672~682番歌 の 解説万葉文化館の研究員がそれぞれの歌の解説をしながら、作者達の関係なども説明してくれます。
巻四は相聞歌(恋の歌)がほとんどです。
巻四には308首あり、それを3年間で消化していくそう。
来年度いっぱいで巻四を終了する計画になっています。

万葉文化館の前庭にピンク色のアシビの花が咲いていたよ。
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by narakin | 2017-03-15 20:38 | 歴史 | Comments(4)

四神の館

今日は月1回の「万葉集を読む」の講座。
明日香村にある万葉文化館まで知り合いの車で一緒に送迎してもらっています。
講座は14:00~15:30の座学で講師による講義を一方的に聞いているだけですが、かなり勉強になります。

今日は講座が終わってから帰りにキトラ古墳の横に新しく出来た「四神の館」に寄ってみようということに。
同じ明日香村にあるのでそんなに時間がかかる場所ではなかった。
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この建物が「四神の館」で右側の小高くなったところが「キトラ古墳」
「四神の館」は「キトラ古墳の壁画にある「朱雀」 「玄武」 「青龍」 「白虎」 の四神から命名されたものです。
昨年の9月に出来たばかりの施設なので、当然キトラ古墳に関する展示がメイン。
  開館時間は 9:30~17:00 (3月~11月)
        9:30~16:30 (12月~2月)
  入館 無料
駐車場も完備されているので車で行くと便利です。
今日は16時過ぎに行ったので、ざっと見て回っただけでした。
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駐車場の近くに休憩所・売店がある。
記念にキトラ四神せんべい(300円)を買って帰りました。
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今回は時間がなかったので、ゆっくりと見学出来なかったので、また時間を見てゆっくりと見学に行きましょう。



by narakin | 2017-01-18 21:03 | 歴史 | Comments(7)

万葉集をよむ

毎月第3水曜日に奈良県立万葉文化館で開講している「万葉集をよむ」を聴講してきた。
今日は、「大伴家の女性たちの歌」巻四 579~586番歌 の 解説

 ▢ 余明軍の大伴宿禰家持に与えたる歌二首
  (よのみやうぐん の おおとものすくねやかもち ・・・)
 ▢ 大伴の坂上家の大娘の大伴宿禰家持に報へ贈れる歌四首
  (おおともの さかのうえのいえの おおをとめの ・・・)
 ▢ 大伴坂上郎女の歌一首
  (おおともさかのうえのいらつめの・・・)
 ▢ 大伴宿禰稲公の田村大嬢に贈れる歌一首
  (おおともすくねいなきみの たむらのおおをとめに・・・)
万葉集の編者と言われている大伴家持の近親者達の歌です。
 家持の父が旅人(たびと)で
 稲公(いなぎみ)は旅人の弟  坂上郎女は旅人の妹
 坂上大嬢は坂上郎女の娘で家持と結婚した

それぞれの歌の解説をしながら、作者達の関係なども説明してくれます。

終わってから、いつもは行かない万葉文化館の周囲を歩いていたら、アジサイの花が綺麗に咲いていたのでパチリ。
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by narakin | 2016-06-15 22:11 | 歴史 | Comments(2)

万葉集をよむ

奈良県明日香村にある「県立万葉文化館」で開催されている「万葉集をよむ」という講座があります。
今日も講座があったので参加してきました。
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基本的に毎月第3水曜日の14:00~15:30に開催されている。
 聴講無料 事前申し込み不要 定員150名(当日先着順)
  座席はいつも230席ほどあり、毎回200名近くの参加者が入っています。

万葉文化館主任研究員が1時間半で、『万葉集』の歌々を数首ずつ取り上げて、丁寧に読み解いてくれます。
今年度は前年度に引き続き、『万葉集』巻4を取り上げている。
連続講座で、内容は1回ごとに完結します。
どこからでも、どなたでも、1回だけでも、自由にご参加できるのが良いです。

私は2年前から参加していますが、
3人の講師が月替わりで講演してくれて、講師によって、それぞれ講演内容にも個性があり面白く聞くことが出来ます。
by narakin | 2016-05-18 22:46 | 歴史 | Comments(7)

歴史勉強会

地域の公民館で行われている歴史勉強会
毎月1回、公民館の研修室で講師を迎えて2時間の講義をしてもらっている。
今年度は天理参考館の学芸員をしていた方で、古墳とか遺跡の発掘が専門。
考古学の概略という観点で、
考古学資料の年代決定法から始まり、縄文時代、弥生時代、古墳時代から終末期の古墳と資料を用いて講義していただいた。
いつもは研修室での座学だが、年に1回は館外研修の形で史跡等を巡り勉強している。
今日は、その館外研修で、大阪府和泉市の池上曽根遺跡をメインに弥生文化博物館、信太の森鏡遺跡公園・聖神社、いずみの国歴史館を巡ってきた。

池上・曽根遺跡(いけがみそねいせき)は、大阪府和泉市池上町と同泉大津市曽根町とにまたがる弥生時代中期の環濠集落遺跡をさし、南北1.5km、東西0.6kmの範囲に広がる総面積60万m²に達する大集落遺跡である。
昭和40年代に発掘調査が行われて、建物跡や土器など多量の出土品があり、それを基に建物が復元された史跡公園が出来ている。
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史跡公園の隣に弥生文化博物館があり、地元の遺跡にとどまらず、弥生文化全般を対象とした全国で唯一の博物館。
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信太の森の鏡池は、演劇・文芸などを通じて有名となった「葛の葉伝説」の舞台として知られている。
安倍保名が信太大明神(聖神社)に祈願に行った際、池の水面に映った傷ついた白狐を助けたことで、後にその白狐が女人となり保名の妻(葛の葉)となり男子を授かる。
その男子が陰陽師で有名な安倍清明だという伝説。
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聖神社は白鳳3年(674年)天武天皇の勅願で信太首が創建したと伝えられている。
祭神は素戔嗚尊の孫神「聖大神」を主祭神としている。
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いずみの国歴史館は、和泉市と周辺地域に伝わる歴史資料や民族資料など、様々な文化財の展示を行い、多くの人に文化財に対して理解を深めてもらうのを目的として平成11年4月に開館したもの。
詳細内容は省略します。
今日一日で、弥生時代の勉強をしてきました。
by narakin | 2016-03-15 22:28 | 歴史 | Comments(4)

郡山再発見ウォーク

今日は、大和郡山市観光ボランティアガイドクラブ主催の「郡山再発見ウォーク」
天気は晴れだったが、気温が低く、強い西風が吹いていたので寒かったが、参加者約70名ほどもいた。

本日のテーマは「古事記の里」
コースは   行程約8km
平畑駅~五輪塔覆堂~菅田神社~下つ道~嫁取り橋~八条来た遺跡~稗田遺跡~賣太神社~外堀緑地~近鉄郡山駅

古事記は、天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものであると言われている。
その稗田阿礼を祭神としている「賣太神社」を目指してウォーキング。

近鉄平畑駅に集合して、市長、ボランティアガイドクラブ会長の挨拶のあと、軽い準備体操をしてから4班に分かれてスタート。

五輪塔覆堂は戦国武将「筒井順慶」墓地である。
筒井氏は鎌倉時代を経て室町初期に強大となる。順慶は天正5年(1577)松永久秀を信貴山城に破り、天正8年8月信長から大和の支配を任され郡山城に移転。天正12年8月没。

菅田神社は
祭神は菅田比古命で、天照大神が天岩戸に隠れたとき、岩戸の前でお祭りをしたときに使う鏡・鈴を造ったことから金属加工の祖、または農機具を作ったことから農耕の神、地域の氏神として祭られている。
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下つ道は
古代の官道で上つ道・中つ道・下つ道の三道が南北に走っていた。
下つ道は平城京の羅城門から藤原京のの西四坊大路に奈良盆地の中央をまっすぐつなぐ約23km余りにおよぶ。
藤原京から平城京に遷都する際に物資移動のために作られた大動脈だったと言われている。

嫁取り橋は
珊瑚珠川にかかる橋。
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昔、修験道の行者に失恋した茶屋の娘が八条ケ淵に身投げをし、霊が残って大蛇となり、ここを通る花嫁を見ると大雨を降らして淵に引きずり込んだという。
そのために花嫁はこの橋を決して渡らないと言われている。

八条北遺跡は
西名阪道の大和郡山JC建設に伴う2回の発掘調査(平成15年と23年)で古代下つ道跡とその西側から弥生時代の方形周溝墓50基や平安時代の住居跡・井戸跡が確認された。
下つ道は東側側溝が幅7~11m深さ1.4~2m、西側側溝は幅1.2~1.8m深さ0.2~0.5mで、この規模から船による物資運搬が注目されている。

稗田遺跡は
省は55年の発掘調査で水田と下つ道に斜めの交差する人口河川および橋脚が検出された。岐橋は長さ17×幅12m。また木製人型、土馬、木簡、墨書人面土器などが出土。

賣太神社は
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主祭神は稗田阿礼、吹く祭神は猿田彦命と天宇受売命(あねのうずめのみこと)。
稗田の地は朝廷に奉仕した猿女君稗田氏一族の居住地。稗田阿礼はこの一族出身。
天宇受売命は、天の岩戸神話で活躍した女神。のちに猿田彦神と結婚。天皇から猿女君の姓を賜った。芸能の始祖神。
猿田彦は邇邇芸命降臨の際、天と地の分岐点で待ち受けて天孫を高千穂峯に先導した神。
毎年8月16日に行われる阿礼祭(あれいさい)は、稗田阿礼の遺徳を偲ぶ祭である。

稗田環濠集落
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奈良盆地の多くの環濠集落の中でも原型に近く中世の面影を留めている。
土塀や土蔵が多く城郭としての構造になっている。集落の入り口は北側だけだったが江戸時代に4か所になったという。
by narakin | 2015-12-04 22:13 | 歴史 | Comments(0)